
なぜ人は“胸糞悪い事件”に惹かれるのか?『日本昭和トンデモ事件大全』がえぐる、昭和の闇とノスタルジアの正体
お菓子、文房具、観光地――。私たちが「昭和レトロ」と聞いて思い浮かべるのは、どこか温かく、甘酸っぱい記憶ではないでしょうか。しかし、もしそのノスタルジックな棚に「猟奇殺人」や「未解決事件」が並んでいたら、あなたはどう感じますか?
今回ご紹介する『日本昭和トンデモ事件大全』(タツミムック)は、まさにそんな奇妙な一冊です。
「日本懐かし大全シリーズ」の一冊として、パンやお菓子の本と肩を並べて出版されたこの本は、昭和という時代に起きた常軌を逸した事件の数々を収録しています。この記事では、本書を深く読み解きながら、中心的な問いに迫ります。
なぜ、陰惨で悲劇的な事件が「懐かしさ」の対象としてパッケージ化され、私たちに消費されるのでしょうか? その答えは、私たちの現在を映し出す、意外な真実を明らかにします。
本書の構造を解剖する:恐怖を飼いならす巧みな「キュレーション」
本書は単なる事件記録集ではありません。それは、過去の恐怖を巧みに編集し、現代の私たちが安全に消費できるようデザインされた、高度な「文化的装置」なのです。
視覚で誘う「ノスタルジア装置」
本書は、雑誌のようなビジュアルの魅力と、書籍のような資料性を兼ね備えた「ムック」形式で出版されています。その戦略の鍵は、当時の新聞記事や写真をふんだんに使用している点にあります。
ざらついたモノクロの紙面は、読者を事件当時の報道空間へと引き込みます。しかし、それはあくまで現代という安全な場所からの追体験です。この視覚的な演出によって、過去の恐怖のスリルと、それが既に終わったことであるという安堵感を両立させる、巧みな「ノスタルジア装置」として機能しているのです。
恐怖を標本化する「分類学」
本書の編集方針の核心は、混沌とした事件を5つのテーマに分類するその構造にあります。
- 第1章 狂気・猟奇事件編
- 第2章 不可思議事件編
- 第3章 オカルト事件編
- 第4章 ユニーク・珍事件編
- 第5章 未解決事件編
例えば、「津山事件」を「狂気・猟奇」に、「SOS遭難事件」を「不可思議」に分類すること。この行為は、生々しく恐ろしい歴史的瞬間を、まるで収集可能な標本のように整然と棚に並べる作業に似ています。この「分類」こそが、過去の恐怖を現代の消費のために飼いならす、主要なメカニズムなのです。
昭和の闇を象徴する3つの事件簿
本書に収録された数々の事件の中から、それぞれが異なる時代の不安を象徴する3つのケースを見てみましょう。
1. 津山事件(1938年):田園の悪夢
1938年、岡山県の閉鎖的な村で、都井睦雄という青年が猟銃と日本刀で武装し、わずか1時間半のうちに30人を殺害しました。彼の動機は、徴兵検査で結核と診断されたことによる社会的孤立と、女性関係への怨恨でした。不治の病への偏見や村八分といった、近代化から取り残された農村の病理が生んだこの事件は、現代とは異質な、特定の時代と場所に固く結びついた恐怖の物語です。
2. 三菱銀行人質事件(1979年):都市の不条理演劇
1979年、大阪の銀行に猟銃を持った梅川昭美が押し入り、42時間にわたる籠城の末、警察官と行員あわせて4名を殺害しました。この事件が人々の記憶に刻まれたのは、彼が女性行員を全裸にさせて「人間の盾」にするなど、その演劇的で猟奇的な残酷さによります。メディアを通じてリアルタイムで中継されたこの事件は、不特定多数に向けられた「見世物(スペクタクル)」であり、都市が生んだ新しいタイプのニヒリスティックな犯罪でした。
3. SOS遭難事件(1989年):知り得ぬ荒野のミステリー
1989年、北海道・大雪山系で、巨大な倒木で作られた「SOS」の文字が発見されました。近くからは人骨とテープレコーダーが見つかりましたが、そこには「崖の上で動けない」という、現場状況と矛盾する救助を求める声が録音されていました。衰弱した遭難者が、なぜこれほど巨大な文字を作れたのか。多くの謎が未解決のまま残されたこの事件は、人間の論理が及ばない大自然との闘いと、知り得ないものに意味を見出そうとする人間の本性を描き出しています。
なぜ私たちは「トンデモ事件」を読んでしまうのか?
読者レビューには「『トンデモ』なんて軽い言い方だけど内容はダーク」「エグすぎて断念」といった、タイトルの響きと内容の陰惨さとのギャップに戸惑う声が多く見られます。しかし、それでも本書は人気を博しています。その理由は、私たちの複雑な心理にあります。
「トンデモ」というフレームは、死や恐怖といったマカーブルなものへの好奇心を満たすための、心理的な「許可証」として機能します。つまり、「歴史的奇譚の探求」という名目のもとで、不謹慎と見なされかねない関心を正当化してくれるのです。
さらに本書は、昭和のあらゆる側面――甘いお菓子から痛ましい悲劇まで――を商品化する「ノスタルジア産業」の一端を担っています。事件の「ダークサイド」はもはや社会の傷ではなく、開拓されるべき市場のニッチなのです。
私たちが懐かしんでいるのは、事件そのものではなく、かつての児童書が平気で子どもにトラウマを与えるほど過激だったように、メディアが生々しく、世界が混沌としていた「時代」そのものなのかもしれません。
書籍情報
- 書籍名: 日本昭和トンデモ事件大全
- 著者: 日本懐かし大全シリーズ編集部
- 出版社: 辰巳出版
- シリーズ名: タツミムック
- 刊行年月: 2022年3月
- 定価: 1,705円 (税込)
結論:本書は、過去ではなく「現在」を映す鏡
『日本昭和トンデモ事件大全』は、単なる怖い話のコレクションではありません。それは、相対的に安定した現代に生きる私たちが、過去の混沌を安全な距離から覗き見たいという欲求に応えるための、洗練された商品なのです。
本書の人気は、私たちが歴史をどう記憶し、処理し、そして最終的には消費可能な工芸品へと変えてしまうかを示しています。
この本は、昭和の過去について語りながら、実は歴史と複雑な関係を結ぶ「私たちの現在」について、より多くのことを教えてくれるのです。